2009/10/19〜2009/10/25

黒姫から 第43週

先週にひきつづき京都に滞在している、至るところに咲く金木犀の薫りにも馴れてしまった。なんらかの会合や写真展に付随した仕事にお付合いして時間が過ぎて行くなか、観光目的の滞在ではないし、ことさらに出かけたい処がある訳ではなかったが、携帯電話を持っていない、またインターネットにも接続できない状況下におかれた私の連絡役兼指示された場所への案内役になって呉れている若者のひとりが「滋賀」から来ていると聞いて、琵琶湖畔に美術館のある 日本画家 三橋節子のことを思いだした。それでもしも機会があったらふらり奈良平城京にでも出かけてみようと思っていた一日を此の美術館にあてることにした。画家 三橋節子の存在を知ったのはイラクへ発つよりも前だ、当時の美術雑誌へ二号にわたって紹介されていた記事を読んでのことだ。彼女が若くして病没した直後のころだったと思う──そして、残された彼女の幾つかの作品が私につよい印象を残したのだけれども、それは今でも変わっていない。

伏見から三条に出て地下鉄に乗り換えると滋賀の湖へは大した時間もかからなかった、地下鉄が地上に出ても湖はほとんどみえないが、住宅地のなかの小さな駅(上栄町)で降り案内板に導かれながら坂道の林間をしばらく登ってゆくと「三橋節子美術館」にたどりつける──挿画の二枚目、左手の庭へまわってゆくと入口──その日のその時刻、私たち(三人)のほかに来館者もなくたいそう静かだった。

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中へ入って先ず来館者の応接にあたっている方に三橋節子の短い生涯を紹介するヴィデオ映像を見せていただき──序でに庭の猫達も紹介される、三十匹ぐらい住み着いているとか──そして展示室へ。最初に出版された画集をもっている私には初めて見ると思える作品は二三点だったろう、どの作品についても色彩や構成にはなじみがあった。ここで記憶の中の印象と眼前の原画を比較しても仕方ないが、見入るそれぞれが色彩深く繊細であり日本画の顔料の装飾性(あるいは叙情性)を覚えた、それを知るのが美術館を訪ねる愉しみと云うものだろう。展示は1/3ぐらいづつ入れ替えられるとのこと。願望で言えば私がもっと見たいものはインドを描いたものだったろう、しかしながら此の時の展示ではそれらがあまり多くない・・・私は矢印で案内されていた鑑賞順路をあえて逆にしインドを描いた作品を後半に見るようにしていた。

こうして懐かしく久々の美術館にきてみて、彼女が薫陶をうけた画家(秋野不矩)の美術館が思いだされた、確か浜松の方だったと思う──挿画の三枚目は三橋節子の美術館からほど近い三井寺の境内からの滋賀の湖方面の眺めたものだけれど三井寺に向かって歩いている途中でお孫さんと犬をつれて散歩中の、同じく画家で節子の伴侶であった方に出会い幾らかの言葉を交わした、お孫さんの顔立ちが節子の絵のなかの童子にうりふたつだった。なお挿画の一枚目は鴨川土手のツマグロヒョウモン、京都へはもちろん写真機を持って来ているのだがあまり持ち歩いていないので然したる挿画の用意ができないでいる。

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黒姫を発ってから新聞やテレビやインターネットからニュースを取得する機会をなかなか持てずに過ごして来たけれども、週末になってアフガンやパキスタン情勢が騒然としていることを教えられる。そう教えられれば大方の見当がつくものの、情報氾濫の筈の大都市にいてこれは皮肉なことだった。また一時は指呼の間にいた方にもケイタイや公衆電話あるいはインターネットと云った普段の通信手段を持てなかったことからお会いすることも叶わず、改めて外界から孤立するという些細な体験をもすることになったが、そんな日々の京都滞在ももう間もなく切り上げる。

京都では先週につづいて岡真理さん(京大々学院 人間・環境学研究科教授)がパレスチナ関連のイヴェントを主催されていて今週は広河隆一氏の写真展、パレスチナ1948年NAKUBAアーカイブス版の連続上映会、そして週末には同氏の講演会とつづき、岡さんも広河さんも超人的な日常だ、そしてそれらの催しを多彩な人々が支援している。そんななか私にも岡さんのアラビア語の学生達に「三十年前のイラク」を紹介する機会があった。イラクの困難さはパレスチナやアフガンに劣らず深刻な事態に至っているが、それを直裁に示すのではなく、失われたものの輝かしさを通じて想像してみようと云う彼女の意向にそえたかどうか、学生達がどのように感じてくれたかを聞くのが愉しみである──ともあれ、あれもこれも刺激的だった二週間あまりの京都滞在だった。

イラク、常に死ととなりあう無法状態、水や電力すらままならぬ日常、国内外に想像を絶する難民を生みだし、そして政治的混迷。だが、イラクが初めからそんな処だったわけではないのだ。イラクには貧しくても希望があった、1970年代の終わりごろまではそういう日々だった。それから累々と戦乱の日々で時が経って仕舞ったけれども、イラクがイラクになろうとする時にその希望の源泉となるだろう時を思いだして欲しい。かつてイラクで私は双葉のような新しいイラク市民の誕生に立ち会った、その感慨がいまなお私をイラクに呼戻す──

──もし叶うなら今は活気に満ちていた頃のイラクのアルバムを(ときおり勘違いされる方も居られるので明示しておきたいが、これはサダム以前のイラクだ)お仕舞いまで御覧いただけると嬉しい。そして埋蔵量を誇った産油国であり現代アラブの雄邦のひとつが二十万ほどの軍隊のまえにあえなく崩壊してしまった事実に深く想いを巡らせ、此の地がこんなにも大規模に蹂躙されたことはメソポタミアの数千年の歴史にかつて無かったであろうことも合わせて、世界の出来事に想いを馳せるなら‥‥そう、思慮深く‥‥見えてくるものは遠いイラクの悲劇だけないことがわかるだろう。