2009/10/12〜2009/10/18

黒姫から 第42週

京都に来てから一週間余が過ぎた。一週間余をすごした市内のいたるところにキンモクセイの匂いが濃厚に、程よく、あるいは自動車排気ガスに抵らいながら立ちこめている。幾つかの要望された日程をこなしたが京都観光などは元々予定して来なかったし強い願望もないので、閑暇のときはあってもあれこれとわざわざと出かけてはいない、しかしながらそこは京都だけあってにちょっとした散歩でもなにがしらかに行きあたる。信越や北信濃のような自然は望むべくもないが、人工的に丹精された佇まいに歩みを時には止めてみても良いかと譲歩しながらの京都滞在となっている──

20091014_1909 20091016_1984 20091016_1987

そういう訳で典雅で聞こえるようなところにも然したる興味をしめすこともない。むしろ今回の京都では多様な人々にひとつひとつ驚いている。伏見で宿を提供して下さっているSさん、大学で教鞭をとるOさん、左京区でささやかな飲食店を運営しながら不思議な人脈の要にいるTさん、いずれも五六十代の女性だ。そして彼女達が個性的で活動的なだけでなく、彼女たちを芯にしてさまざまな年代の人たちの柔軟なネットワークがあり、それが全体としてパレスチナやイラクやアフガニスタンなどの高度に政治的でもありうる諸課題から虐げられる人々、障害を抱えた人々にまで彼らの眼差しが険しく時には優しく注がれているのだ。もちろん個々の人々も多様でユニークだ、私の本拠地(長野県信濃町)でさまざまに活躍している人たちにも此処での様子を見せたいくらいだ。もちろんほぼ隠棲同然のなかから久々に出て来た大都市でのことであり、あらゆるものに瞠目せざるを得ない私だが、通常の旅行とはちがう状況下で興味深い時をすごしている、と云えるだろうか。ともあれ、このような機会を与えてくれた人たちに感謝する。

terra

直接にイラクに係ることではないが今週は展示された三十年前のイラクの写真の前でふたつの新聞社のインタビュウを受けた。週初めのものはすでに結構なスペースの記事になっている、Web上からも見られるようなので想いでに記しておこう、このリンクが何時まで存在するか分からないけれども。他にJVC(日本国際ボランティアセンター)の招きでガザからやって来た二人を囲むシンポジュウムに参加、その後の懇親会にも出て久々に中近東独特の発音の英語も懐かしかった・・・そんなこんなでインターネット接続もままならず、イラクからの報道には接せずにいる。

イラク、常に死ととなりあう無法状態、水や電力すらままならぬ日常、国内外に想像を絶する難民を生みだし、そして政治的混迷。だが、イラクが初めからそんな処だったわけではないのだ。イラクには貧しくても希望があった、1970年代の終わりごろまではそういう日々だった。それから累々と戦乱の日々で時が経って仕舞ったけれども、イラクがイラクになろうとする時にその希望の源泉となるだろう時を思いだして欲しい。かつてイラクで私は双葉のような新しいイラク市民の誕生に立ち会った、その感慨がいまなお私をイラクに呼戻す──

──もし叶うなら今は活気に満ちていた頃のイラクのアルバムを(ときおり勘違いされる方も居られるので明示しておきたいが、これはサダム以前のイラクだ)お仕舞いまで御覧いただけると嬉しい。そして埋蔵量を誇った産油国であり現代アラブの雄邦のひとつが二十万ほどの軍隊のまえにあえなく崩壊してしまった事実に深く想いを巡らせ、此の地がこんなにも大規模に蹂躙されたことはメソポタミアの数千年の歴史にかつて無かったであろうことも合わせて、世界の出来事に想いを馳せるなら‥‥そう、思慮深く‥‥見えてくるものは遠いイラクの悲劇だけないことがわかるだろう。