2009/10/5〜2009/10/11

黒姫から 第41週

京都に来ている。記憶を遡らせてみると五年振りの京都と云うことになる──このときは十日ぐらい滞在したけれども、その痕跡はあえてその頃の「黒姫から」に残していない──その五年前の、京都を退去するときに〝これが最後の京都だ〟と意識していたのであったが今また此の街に来ている。奇しき因果、人は生きているかぎり、その人生は、予期しがたく展開する可能性を常に孕んでいると云うことだろうか。

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黒姫を発って来た朝には妙高山に初冠雪がみられたと云う。私は京都へ出立するあれこれの支度のなか、未だそれが見られたかも知れない時刻にそれを確かめる機を持てなかったけれども、戸締まりをおえて戸外にでると家のまわりには秋時雨の気配がひっそりと漂っていた。時雨は時季にかなっていたと思う、けれども初冠雪には少々早かったのではないか、そう遅くもない時季の台風一過に信越国境でも初冠雪とは。これもまた気象の秩序の乱れ──あるいは遷移とでも云うべきか──の現象のひとつ?

そんな信越山間から深い木曽の峡谷と重い雲の下をくぐっての後に京都に着いた、そうして折よくか、祭に賑わう伏見の一隅にまず宿を与えられた。そう、五年前とちがって何方かと共にあることも多い、繰返す、奇しきこと──と。

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お祭り見物に興じている訳ではないが道すがらその波に呑込まれる、これもまた良し。また五年前に鴨川河川敷辺りでツマグロヒョウモンを多くみたので──今回はまだその辺りへ出掛けていない──伏見桃山界隈の住宅や通行量の多い道路脇にも眼を向けたら蝶五種をたやすく見られた、その中でも取りわけキタテハの群れ飛んでいるのが印象的だった。幾らか離れてはいるが近隣には諸稜など森も多い、路傍に繁茂する或る帰化植物が彼らの食餌として多いに貢献しているのだけれども。

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さてこのところ幾枚か先出しで掲げてみた三十年前のイラクの情景だが、今回はそれらが展示されている会場の様子を載せてみよう。調製に少々の苦心のあとに送ったデータが結構見応えのある写真になっている。それを実現して呉れたのはイラクやパレスチナの今日を憂慮し出来る支援を惜しまないと云う人たちだ。此処にそうした大勢の彼らの名を掲げてお礼や励ましの言葉を呈することも叶わないけれど──

20091011_1905これらの展示されている処は京都伏見、京阪藤ノ森駅から疎水を渡ってほんの僅かに北に行った小さな「みんなのカフェちいろば」という、間口は広くないけれど奥行きは深い。ここに飾られたかつてのイラクがどれだけ人々の眼に留るか、そしてよし留ったとしてもそれが人々に想い馳せらせるかどうか、イマジンイラク──Imagine Iraq──この簡潔なフレーズは大阪の若いTさんの発案だと云う。この催しは様々なイヴェントと平行しながら11月5日迄つづけられる、さまざまな人々のさまざなな想いがイラクにまで届くといい・・・それを祈っている。

イラク、常に死ととなりあう無法状態、水や電力すらままならぬ日常、国内外に想像を絶する難民を生みだし、そして政治的混迷。だが、イラクが初めからそんな処だったわけではないのだ。イラクには貧しくても希望があった、1970年代の終わりごろまではそういう日々だった。それから累々と戦乱の日々で時が経って仕舞ったけれども、イラクがイラクになろうとする時にその希望の源泉となるだろう時を思いだして欲しい。かつてイラクで私は双葉のような新しいイラク市民の誕生に立ち会った、その感慨がいまなお私をイラクに呼戻す──

──もし叶うなら今は活気に満ちていた頃のイラクのアルバムを(ときおり勘違いされる方も居られるので明示しておきたいが、これはサダム以前のイラクだ)お仕舞いまで御覧いただけると嬉しい。そして埋蔵量を誇った産油国であり現代アラブの雄邦のひとつが二十万ほどの軍隊のまえにあえなく崩壊してしまった事実に深く想いを巡らせ、此の地がこんなにも大規模に蹂躙されたことはメソポタミアの数千年の歴史にかつて無かったであろうことも合わせて、世界の出来事に想いを馳せるなら‥‥そう、思慮深く‥‥見えてくるものは遠いイラクの悲劇だけないことがわかるだろう。